先日、私が所用で東京に行ったときのことです。夜、時間ができたので東京に在住している娘(長女)と池袋の居酒屋で久しぶりに飲んでいました。二人とも日本酒が好きで吟醸酒を注文したところボヘミアン風のペアグラスが出てきました。出てきた瞬間、二人は顔を見合わせ「あっ!」と叫んでしまいました。実はこのグラス、私が毎日まめの仏壇にお酒をお供えするグラスとまったく同じものだったのです。世の中、何千、何万種類のあるグラスの中から、今日この東京で、何故このグラス?
ひょっとして、「私もここでお姉ちゃんやお父さんといっしょに飲みたーい!」というまめの気持ちが現れたのでしょうか。また、何かメッセージを伝えたかったのでしょうか。ただ単なる偶然なのか。不思議なひと時となりました。
昨年の9月29日から一年が経ちました。つい数日前のことのように今も鮮明にあの日のことがよみがえってきます。無能な人たちによって8月に最悪の状態にさせられ、その後、43日間という時間はまめの意地や執念あるいは悔しさだったのでしょうか?
私たち家族にとっては、苦渋に満ちた希望のない日々でした。
せめて、最後にまめを気持ちよく送ってあげようと思い「4つのポエム」の初演のMD、大好きだった「エレクトーンの松田昌さん」のCDやFNSドキュメンタリー番組「もしも願いが叶うなら」のBGMで使用されたミスターチルドレンの「彩り」などの曲を毎日延々とICUの病室に流し続けて、最後は私たち家族がまめの手を握りながら静かに終焉を迎えました。
まめがCRPSという病と闘った6年間、係わった医療者にドクターGやスーパードクターは一人として居ませんでした。特に、最初の手術によりCRPSを発病させる原因となった執刀医の大学教授は、この難病を治療しようと立向かうことは全くなく、ひたすら我が身の保身だけを考えることしかしなかったのです。真面目に医学を志す若い人たちにこの教授は、医療の何を教育しようと思っているのだろうか?医療者として人間として最低の生き物でした。いまでも、痛みで苦しんでいるまめと私たち家族を目の前にして、うす笑みを浮かべながら、ただ精神科へ送ることしかしようとせず、明らかに責任を逃れようとする高慢な態度、あの時の言葉のやり取りを思い出すと虚しさや悔しさより背筋がぞっとする思いです。おそらく、この人は、まめが亡くなったことを一番喜んでいる医療者の一人だと思います。本当に情けないことです!!
まめは、CRPSを発病して亡くなるまで、最新の高度最先端医療と期待して受診した医療が最低最悪の医療となり、エゴやプライドしか持たない医療者たちによって翻弄され続けた6年間でした。CRPSという病気は、それが原因で死に至る病気ではないのに!!
まめは、短期間でしたが看護師・保健師として一生懸命患者さんのために役に立とうとして、必死に痛みをこらえ笑顔で患者さんと接して病気の苦しみを少しでもやわらげようとようと頑張ってきました。
先日の新盆の時、勤務していた病院の上司の方々といっしょに、まめが当時担当していた「がんサロン」の患者の皆さんたちがおまいりに来て下さいました。皆さんからまめとの思い出話しをお聞きした時、苦しかったがんの治療の中でまめとの会話に大変癒されたと感謝のお言葉をいただきました。まめが以前から勉強していたピア・カウンセリングのまね事が少しだけ実践出来たのではないかと思い、本当に嬉しく思いました。
いままで、私たち家族はまめに何をしてあげられたのだろうか。供養はできたのだろうか、成仏できたのだろうか。何もできないままのあっという間の一年が過ぎ去り一周忌を迎えました。
この一年間、主のいなくなったこのブログに私たち家族への励ましや、まめとの思い出話などたくさんのコメントを投稿していただきました皆様方、誠にありがとうございました。
また、4つのポエムをコンサートで演奏していただいた全国の合唱団の皆様方、本当に感謝申し上げます。
こんなちっぽけなまめが、これほど多くの皆様方の心の中に思い出として残していただけたことは私たち家族として本当に嬉しく思っています。まめは、本当に幸せ者です。
まめは私たち家族と共に今も同じ空間で生活していると信じています。いつも、いっしょに食事をしたりお酒を飲んだりと以前のようにみんなで「わいわい」言いながらそばに居てくれてると思っています。
本当に、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げますとともに、皆様方の今後のご健康とお幸せをお祈り致します。
ありがとうございました。
まめの父
posted by まめ at 07:20|
Comment(25)
|
TrackBack(1)
|
日記
|

|